本当は怖い「さるかに合戦」の真実

歴史・伝説・奇談

※当物語は史実を元にオマージュしたフィクションです。

貞永(じょうえい)元年(西暦1232年)、時は鎌倉時代――。

この年は、武士の政権である鎌倉幕府が『御成敗式目(ごせいばいしきもく)』という新しい法律を定めた、大きな節目の年でした。

それまでの世の中では、大切なものを奪われたり身内を害されたりしたとき、自分の力で相手にやり返す「仇討ち(私刑)」が当たり前のように行われていました。しかし、この年にできた新しい法律によって、「どんな理由があろうと、勝手に復讐をしてはならない。不満があるなら幕府の裁判所に訴え出よ」という厳しいルールが作られたのです。

人々が身分によって厳しく分けられ、力を持つ男や武士が威張る一方で、屋敷の裏方では多くの女中や使用人たちが、低い立場に耐えながら日々の暮らしを支えていました。

感情による復讐が固く禁じられ、「法」と「裁判」によって世の中を治めようとする新しい時代。その影で、行き場を失った怒りと悲しみが静かに渦巻いていた頃のお話です。

◇

さて、とある城下町の片隅に、カニ江というたいそう美しい女性が暮らしておりました。年の頃は二十五。三人の幼い息子を育てる未亡人でございます。すでに子を三人授かっているにもかかわらず、その透き通るような美しさは衰えることを知らず、町の男たちの目を否応なしに惹きつけておりました。

カニ江の夫であったエビ郎は、二年前、病によってこの世を去っておりました。当時は現代のような整備された医術や病院など存在せず、医者といえばまじない師に毛が生えたような自主申告制の時代でございます。人体の構造すら十分に解明されておらず、傷口を切って治す外科手術など知る由もありません。エビ郎の病が癒えることは叶わず、ついに帰らぬ人となってしまったのでございます。

あとに残された三人の息子は、上から七歳のカニ之介、六歳のカニ次、そして四歳のカニ太郎。幼いながらも心優しい兄弟たちは、母であるカニ江のことをたいそう慕っておりました。そして頼れる父・エビ郎を亡くしてからは、幼い手足を懸命に動かし、母の暮らしを精一杯助け合って生きていたのでございます。

◇

ある日のこと、カニ江は日用品を揃えるため、賑わう下町へ買い物に出ておりました。その日は切らしていた味噌や旬の野菜など買うものが多く、手提げのかごはずっしりと重くなっておりました。

一通り買い物を終え、幼い息子たちの待つ我が家へと足を向けていた道中、カニ江は道端に倒れ込んでいる一人の女性を見つけます。女性は力なくうなだれ、息も絶え絶えに苦しんでいる様子でした。見かねたカニ江は咄嗟に、先ほど買ったばかりの瑞々しい大根を切り分け、女性に与えて口に含ませました。すると不思議なことに、女性の顔色にはみるみるうちに赤みが差し、自力で立ち上がって歩けるほどまでに回復したのです。

女性はカニ江に感謝の言葉とともに名を尋ねると、深々と頭を下げ、そのまま城の立ち並ぶ手前の方角へと静かに歩み去っていきました。
「さぞ、高貴な家に連なるお方に違いありません……」
カニ江は立ち去る後ろ姿を見送りながらポツリと呟き、再び我が家への歩みを進めました。

それから数日後のこと。カニ江が再び下町へ買い物に出かけると、偶然にも先日助けたあの女性の姿がありました。その周りには二人の厳めしい武士が固く護衛につき、通りかかる町人たちも遠巻きに様子を伺うほど、異彩を放っております。その女性は人ごみの中にカニ江の姿を見つけるやいなや、優美な所作で歩み寄ると丁寧にお辞儀をしました。
「先日は倒れているところをお助けいただき、本当にありがとうございました」
「いいえ、お体にご無事で何よりでございました」
カニ江も安堵の笑みを浮かべ、嬉しそうに言葉を返しました。

お噂を聞けば、その女性の名は珠江(たまえ)といい、高貴な武家のお裁きや政を担う裕福な名家の娘御でございました。珠江はカニ江の手をそっと取り、熱を込めて語りかけます。
「先日のお礼をさせていただきたいのです。どうぞ、私どもの屋敷へお寄りくださいませ」
「めっそうもございません。当然のことをしたまででございますので……」
身分の違いを心得ているカニ江は丁寧にお断りしようと致しましたが、控えていた護衛の武士たちも「姫様のお心意気、ぜひ受けてやってくだされ」と頭を下げるため、困惑しながらも少しだけ屋敷へ立ち寄ることに決めたのでございます。

◇

こうしてカニ江は、珠江の豪壮な屋敷へと招かれました。立派な部屋へと通されたカニ江は、珠江とお茶を傾けながら、お互いの家族やこれまでの人生について穏やかに語り合いました。まだ子のいない珠江にとって、三人の息子を健気に育てるカニ江の苦労話や母親としての話は、どれも新鮮で大変有意義なものとなったのでございます。

やがて空が茜色に染まり、夕刻が近づいて参りました。カニ江がそろそろお暇しようと立ち上がったその時、珠江がそっと小箱を取り出し、
「先日は命を助けていただいたお礼でございます。どうぞお納めください」
と、白い布に包まれた十両もの大金を差し出しました。

「滅相もございません……! そのような大金、受け取れるはずがございません」
と、カニ江は身を縮こまらせて頑なに辞退しようと致しました。しかしそこへ、重厚な気品を纏った珠江の父親が現れ、静かだが威厳のある声で強く勧めます。
「あなたは我が娘の命の恩人だ。断られては当家の名に関わる。遠慮なさらず、ぜひ受け取ってくだされ」

お屋敷の主である父親からの申し出をこれ以上断るのも礼を失すると考えたカニ江は、
「それでは……ありがたく頂戴いたします」
と頭を下げ、重みのある包みを受け取りました。秘めた大金を抱え、うやうやしく深い礼を捧げると、愛しい三人の息子が待つ我が家への帰路につくのでありました。

しかし――束の間の幸運の後には、得てして恐ろしい不幸が待ち受けているものでございます。

屋敷を辞して帰り道を急ぐカニ江の前に、一人の男が立ち塞がりました。男の名はサル蔵。年の頃は二十三。以前から美しいカニ江に良からぬ目を付けていた若者でございます。サル蔵の父親は落ちぶれた浪人でありましたが、サル蔵自身は虎の威を借る狐のごとく、過去の親の威光を傘に着ては町の人々に横柄な態度をとり続ける悪童でございました。これまでも度々カニ江を口説こうとしては断られ、鬱屈とした執着を募らせていたのです。

この日は屋敷に長居したため、街道はすっかり夜が更け、足元も見えぬほど暗くなっておりました。暗闇の中にカニ江の姿を認めたサル蔵は、彼女が大事そうに抱えている白い包みに目ざとく気づきます。
「おい、カニ江じゃねえか。こんな夜更けに……その抱えている白い包みは一体なんだ!?」
ネチネチとした声で尋ねるサル蔵に、カニ江は胸元を隠しながら冷静に返しました。
「なんでもございません。通り道を開けてくださりませ」

しかし、サル蔵はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、執拗にカニ江の立ち塞がり、帰路を邪魔します。カニ江が何度もきっぱりと拒絶すると、サル蔵はついに痺れを切らし、力任せにカニ江を押さえつけました。
「静かにしねえか!」
カニ江の悲鳴も虚しく、粗暴な手つきで胸元から白い包みをひっぺがすサル蔵。ずっしりと重い包みを解くと、中から眩い小判が顔を出しました。

「ややっ……! 金……金じゃねえか!!」
一挙に転がり込んだ十両もの大金を前に、サル蔵の目はギラギラと欲に眩み、歪んだ笑みがその顔を覆います。サル蔵はカニ江から奪い取った小判を素早く自分の懐へと押し込むと、せせら笑いながらうそぶくのでした。
「ヒヒッ、こんな大金、お前のような女が持ってるはずがねえ。これは最初から俺のものだ!」

◇

お金を奪われただけであったなら、カニ江の不幸はまだこれだけで済んでいたのかもしれません。しかし、月明かりも届かぬ暗い夜道の中、揉み合ううちに衣類が乱れてはだけたカニ江の艶やかな姿を目にした瞬間、ただでさえ欲深いサル蔵の理性は吹き飛び、猛烈な欲望がその身を支配いたしました。

「ええい、黙れ! 静かにしやがれ!」
サル蔵は獣のような声を張り上げ、抗議するカニ江の身体を強引に地面へ押しつけます。
「やめて……お願いですから、やめてください!」
カニ江は爪を立て、必死に抵抗を試みました。けれど、鍛えられた大の男の暴力的な力に、哀れな女の手足が叶うはずもありません。悲鳴はやがてかすかな喘ぎとなり、絶望と恐怖のあまり、カニ江の意識はゆっくりと暗闇の底へ遠のいていってしまうのでございました。

・・・・・・・・・・

やがて夜が明け、冷たい露の中でカニ江が目を覚ました時、残酷な現実が容赦なく襲いかかりました。今日買い求めた野菜も、珠江から授かった十両の大金も消え失せ、何より——夫のエビ郎を失ってなお、亡き夫への操として命がけで守り続けてきた己の貞操が、無惨にも踏みにじられていたのです。

その悔しさ、悲しさ、そして胸を切り刻むような屈辱は、言葉で言い表せるものではございません。おのれを責め、絶望に打ちひしがれたカニ江は、乱れた着物の帯を静かに解くと、近くの老木の太い枝へと括り付けました。そして一筋の涙を流したまま、自ら首を吊って悲劇の命を絶ってしまうのでございます。

そんな母の身に起きた凄惨な悲劇など知る由もない三人の息子たちは、いつまで経っても帰らない母を心配し、狭い庵で身を寄せ合っておりました。
「おっかぁ……遅いなぁ……」
一番幼い四歳のカニ太郎が、不安に押しつぶされそうな声を漏らします。すると六歳の次男・カニ次が立ち上がり、
「おっかぁを迎えに行くだ!」
と叫びました。七歳の長男・カニ之介は頼もしく頷き、
「ああ、みんなで行くだ!」
と弟たちの手を固く握りしめ、三人揃って母を迎えに下町への夜道を走り出しました。

家を出て下町へと続く街道を進んでいくと、道端に重苦しい人だかりができているのが目に入りました。胸騒ぎを覚えた三人は、駆け足で人ごみを押し分け、その中心へと飛び込みます。次の瞬間――

「おっかぁぁぁぁぁ!!」

カニ太郎の絶叫が、夜の空気を切り裂きました。眼前に横たわっていたのは、物言わぬ骸となった愛しい母の姿。カニ之介もカニ次も、その場に崩れ落ち、
「おっかぁ!」「おっかぁ!!」
と、いくら叫んでも二度と目を覚まさない母の身体に取りすがり、涙を流して泣き叫びました。

集まっていた町人たちも目頭を押さえ、悲痛な面持ちでひそひそと囁き合います。
「なんてひでぇことをするんだ……」
「こんな惨い真似、きっとあのサル蔵の奴に違いねぇ」
「ああ、間違いない。カニ江さんに執着していたサル蔵の仕業だ……!」
泣き崩れる弟たちの傍らで、長男のカニ之介の耳には、町人たちが漏らしたその憎き名前が、鋭く焼き付いておりました。

・・・・・・・・・・

三人の息子たちは親切な町人たちに手を貸してもらい、冷たくなったカニ江の亡骸を懐かしい我が家へと連れて帰りました。カニ次とカニ太郎は横たわる母の傍らで泣き明かしておりましたが、長男のカニ之介だけは涙を拭い、暗い部屋の隅でじっと深沈たる物思いに沈んでおりました。

そこへ、この痛ましい悲劇を聞きつけた四人の男女が、カニ江の庵を訪れてまいります。
夜の街に立ち傷つきながら生きる艶やかな夜鷹の蜂子(はちこ)。
頑固一徹で血気の荒い栗衛門(くりえもん)。
奇天烈な変わり者ながら、誰も思いつかぬ知恵を巡らせる馬糞慈(ばふんじ)。
そして、山のような巨体と圧倒的な腕力を誇る力持ちの臼五郎(うすごろう)。

この四人もまた、以前から横暴に振る舞い、弱い者を痛めつけるサル蔵の悪質ないたずらと嫌がらせに耐えかねていた者たちでした。そのサル蔵が、ついに尊いカニ江の命まで奪ったと知り、四人の内に秘めた怒りは頂点へと達していたのです。

「……絶対に許されねぇ……!」
栗衛門が震える拳を握りしめ、低い声で吐き捨てます。
「ええ、そろそろあの害虫には、相応の天罰が下るべきよ」
蜂子も鋭い眼光を走らせ、同意します。しかし、臼五郎は大きな体を丸め、困惑した顔で呟きました。
「だが奴はずるがしこい……ただ殴り込んだところで逃げられるのが関の山だ」
「ああ、確実にとどめを刺すための『策』を練らねばならんな」
馬糞慈が顎に手を当て、思案に暮れたその時でした。

「オラに、策があるだ……!」

部屋の暗がりから立ち上がったのは、七歳のカニ之介でした。その小さな瞳には、狂おしいほどの情念と冷徹な殺意が宿っています。カニ之介は大人たちを見据え、力強く言葉を継ぎました。
「奴を逃がさず討ち果たすには、あんたら四人の協力が必要なんだ!」

そして、今なお母の傍らで泣きじゃくる二人の弟の方へ振り向くと、胸に響く大声で喝を入れるのでした。
「カニ次! カニ太郎! いつまでも泣いてんじゃねえ!! おっかぁの無念、オラたちの手で晴らすぞ!!」

◇

カニ之介が眼光を走らせながら四人の大人たちへ細緻な策を説明すると、その異様な気迫に押された四人は深く頷き、すぐさま決行の準備へと取り掛かりました。決行の刻は三日後の夕刻——愛するカニ江が無惨にも踏みにじられ、命を落としたのと全く同じ時刻でございます。あまりに早く動けば、周囲に疑いを抱かれる恐れがあると考えたゆえの慎重さでした。先ほどまで泣きじゃくっていたカニ次とカニ太郎も、「おっかぁの仇!」と溢れ出る涙を拭い去り、幼い胸に復讐の熾火を燃え上がらせておりました。

決行の日までの三日間、カニ之介は己が練り上げた作戦を何度も反芻しておりました。何か見落としはないか、漏れはないか——現代で言うところの「MECE(漏れなく・重複なく)」の思考をもって、完璧な手筈を追求し続けたのです。カニ次に末弟のカニ太郎を任せると、カニ之介自身は下町へ出向き、母・カニ江が襲われた日の足取りや周囲の様子について、慎重に聞き込みを重ねて回りました。復讐の刻は、着々と、そして粛々と近づいてきておりました。

そして――げに凄惨にして儚きかな、ついに報復の刻が訪れます。

まず、栗衛門とお面を被った幼いカニ太郎が、サル蔵の元へと向きました。「なぜ子どもまで連れて行くのか」と栗衛門は心の中で訝しがっておりましたが、母の仇であるサル蔵の姿をひと目でもこの目に焼き付けておきたいのだろうと、自分に納得させました。サル蔵の元へ着くと、栗衛門は怪しまれぬよう親しげな笑みを浮かべ、言葉を掛けます。
「おいサル蔵、奥の小道に極上の酒を安く飲ませる旨い店を見つけたんだが、一杯どうだ?」
大の酒好きであるサル蔵は、連れているお面の子どもを少し不審に思ったものの、酒の誘惑には勝てず「おっ、いいねぇ!」とまんまとその誘いに乗ってしまいました。

栗衛門とカニ太郎は、あの日カニ江が襲われた因縁の街道へとサル蔵を言葉巧みに誘い出します。町から離れて人通りの絶えた暗がりへと向かうのを訝しがり始めたサル蔵でしたが、ふと前方を見ると、夜道に佇むうら若い艶やかな女の姿が目に入りました。
「お……いい女じゃねえか」
下劣な声を漏らすサル蔵に、栗衛門は耳元で悪魔の如き囁きを吹き込みます。
「どうでぇ……酒の前に、いっちょ楽しんでいかねえか……?」

さすがのサル蔵も連れの子どもの目を一瞬気にして躊躇いたしましたが、いつの間にか子どもの姿はかき消えるように消えておりました。「どうでぇ……」と執拗に煽る栗衛門に、サル蔵は下心全開で同調します。
「へへっ、子どもがいねえなら話は別だ。じゃあお前は後ろから挟み込め!」
しかし、栗衛門はその指示に従うことなく、ただ静かにサル蔵の後ろをついていくだけでした。

さて、この暗闇に立つ女が夜鷹の蜂子であることは言うまでもありません。夜道で男をあしらうことなどお手の物の蜂子は、サル蔵が襲いかかってくるより早く、自ら艶めかしい声を掛けました。
「あら、いい男……旦那さん、どうだい……?」
「ヒヒッ、話のわかる女だ!」

――とその瞬間! サル蔵は背後から何者かに強く突き飛ばされました。不意を突かれ、意図せず蜂子へと倒れ込む格好となったサル蔵に、さらなる惨劇が襲いかかります。

「ぐああぁぁぁっ……!!」

夜の静寂を切り裂く、サル蔵の絶叫が響き渡りました。蜂子が懐に忍ばせていた鋭利な短刀が、容赦なくサル蔵の腹部を深く突き穿っていたのです。血飛沫が舞い散る中、激痛に耐えかねたサル蔵は滴り落ちる自分の血を必死に押さえ、狂ったように夜道を走り出しました。背後で巻き起こったあまりに突発的な惨劇に、栗衛門はただ驚愕の表情で見尽くすばかりでした。

しかし、その逃げ道にはすでに罠が仕掛けられておりました。暗がりで待ち受けていた馬糞慈とカニ次が、地面すれすれに張った頑丈な細紐を両端から勢いよく引っ張り上げたのです。

バタンッ……!!

足をとられたサル蔵は激しく転倒し、刺された腹部から強烈な衝撃が地面へと叩きつけられました。
「うぎゃああああああっ……!!」
内臓を潰されるような痛みに、サル蔵の視界は真っ赤に染まり、意識が急速に遠のいていきます。そこへ巨躯の臼五郎が立ちはだかり、重厚な大木でできた杵を振り上げると、動けないサル蔵の体に凄まじい一撃を叩き込みました。

どすんッ! と骨の砕ける重い音が響きます。

遠のく意識の狭間で、サル蔵は薄開きの目の中に三人の幼い影を捉えました。それは間違いなく、自分を踏みつけ、追い詰めたカニ江の遺児——カニ之介、カニ次、そしてカニ太郎の姿でした。

最後にサル蔵へ容赦なく重い杵を叩きつけていたのは、仇討ちに燃えるその幼き三兄弟だったのです。
「おっかぁの仇!!」
「サル蔵、覚悟!!」
闇を裂く三人の幼子の怒号と呪詛の言葉を、薄れゆく意識の中で、サル蔵はただ抗うこともできず聞き続けるほかございませんでした。

するとそこへ、巨躯の臼五郎が呆然と立ち尽くす栗衛門に向き直し、
「全員一発ずつ叩いただ。お前も一発やれ」
と、ずっしりと重い大杵を差し出しました。思わぬ展開に戸惑いを隠せない栗衛門でしたが、すかさず投げかけられた「栗衛門さん! おっかぁの仇を!」というカニ之介の気迫に満ちた叫びに突き動かされ、ついにサル蔵の体へ渾身の一撃を叩き込んでしまったのです。

・・・・・・・・・・

こうして無事に母・カニ江の復讐を果たした三人と大人たちは、息絶えてもはや物言わぬ骸となったサル蔵を抱え上げると、近くの太い木の上へと引き上げました。指示された通り、あの夜カニ江が命を絶ったのと同じように、その首に太い縄をかけ、枝から吊るし上げたのです。

母と同じ苦しみと屈辱を味わわせてやるという、長男・カニ之介の冷徹な意恨。そしてそれは同時に、二度とこのような不埒な害意で悲劇の女を生み出さぬようにという、幼い男児なりの見せしめと祈りであったのかもしれません。

◇

ここでお話が終われば、単なる悲しくも壮絶な復讐劇として語り継がれたのかもしれません。
しかし、この過酷な報復の裏には、栗衛門にとって思いもよらぬ不幸が待ち受けておりました。

明朝、木に吊るされたサル蔵の亡骸が発見されると、すぐさま地面へと降ろされました。立ち会った当時の検死官は、腹部に残された鮮血に染まる刺し傷を見逃さず、「これは自殺などではない」と即座に断定いたします。己の首を吊る前に腹を深く刺すなど、到底考えられないことゆえに当然の判断でございました。

当初、前日に命を絶ったカニ江の幼い三人の息子たちにも疑いの目が向けられました。しかし、いかに憎しみがあろうとも、幼気な子どもたちに大の男を殺めるほどの腕力や術策があるはずもないと踏んだ検非違使や役人たちは、すぐさま町へと入り込み、綿密な聞き込み捜査を開始したのです。

すると、複数の町人たちから次々と不穏な証言が躍り出てまいりました。
「事件の夜、サル蔵と栗衛門さんが一緒にいるところを見ただ」
「犯人は栗衛門かもしれねぇ……あの夜、サル蔵の後ろをしつこくついて回っていたぞ」
「顔にお面を被った怪しい子供も、一緒におったねぇ……」

口々に語られる不利益な証言の数々。こうして、知らぬ間に張り巡らされた仕掛けにより、栗衛門こそが主犯であるという疑いの網が、容赦なく狭められていくのでございました。

◇

やがて時が満ち、栗衛門はついに検非違使と役人たちによってひっとらえられてしまいました。何が起きたのかを悟り、身の危険を感じた栗衛門は、必死の思いで真実を弁解いたします。
「仕掛けた主犯はカニ之介だ! オラはただ、あいつの言う通りに従っただけに過ぎねぇ! 蜂子も、馬糞慈も、臼五郎もみんな一緒にいたんだ!!」

しかし、追及を受けた蜂子は平然とした顔で言い放ちました。
「あら、滅相もない。あたしは夜鷹だもの、あの夜は別の通りでお客を取っていたよ」
夜道で客を相手にする夜鷹の足取りを正確に調べることなど、役人にとっても容易ではありません。さらに馬糞慈と臼五郎の二人は、あの日から親を亡くして天涯孤独となったカニ江の三人の息子たちをずっと引き取り、身の回りの面倒を見ていたと白々しく証言いたしました。これに対し、幼いカニ之介も役人の前でしおらしく口を開きます。
「おっかぁが亡くなってから、馬糞慈さんと臼五郎さんにはずっと面倒を見てもらってるだ……とっても助かってるだ……」

その見事な口裏合わせに、あっけにとられた栗衛門は、この時初めて自分がまんまと罠にはめられたのだと悟りました。背景にあったのはカニ之介の冷徹な計算。役人の前でポロポロと涙を流しながら可哀想な遺児を演じるカニ之介の底知れぬ横顔を見て、栗衛門は背筋が凍りつくような恐怖を覚えたのでございます。

絶望に狂いそうになった栗衛門は、サル蔵を連れ出したあの刻限のことを思い出し、狂ったように叫びました。
「そうだ! カニ太郎だ! カニ太郎もあの時、オラと一緒にいただろ!!」
役人に問い詰められた当のカニ太郎は、まだ僅か四歳です。幼子らしく正直に答えました。
「おら、栗衛門さんと一緒にいただよ。お面もかぶってたよ……」

しかしすかさず、長男のカニ之介が悲痛な面持ちで割って入ります。
「カニ太郎はおっかぁを急に亡くして、頭が動転してるだ……夢と現実の区別がついてねぇんだ……」
役人たちもこの幼い長男の言葉を信じ込み、栗衛門が我が身可愛さに幼子まで巻き込んで嘘をついているのだと結論付けました。周囲の町人たちの中には、確かにあの日、お面を被った子供を見た記憶のある者もおりましたが、何分夜の暗闇でのことであり、確証はありません。下手に間違った証言をして自分まで刑罰を受けるのを恐れ、皆固く口を閉ざすしかありませんでした。

こうして、主犯とされた栗衛門は囚われの身となりました。当時は一人でも人を殺めれば極刑——すなわち打ち首の刑でございます。栗衛門は最後まで無実を主張し続けましたが、願いは叶わず、露と消えてしまいました。共犯であった以上、決して無実とは言えぬものの、あまりにも惨く凄惨な仕打ちでございました。

◇

時計の針を少し巻き戻しましょう。

カニ江がサル蔵に惨く犯され、命を絶ってからの数日間。長男のカニ之介は、事件当日の母の足取りや真相を探るため、一人下町へと赴いておりました。その最中、カニ之介は偶然にも、あの高貴な姫君・珠江と巡り会ったのです。

珠江はどこか亡きカニ江の面影を残す少年・カニ之介の姿を目に留め、懐かしそうに何気なく声をかけました。するとカニ之介は、深々と頭を下げて言いました。
「おっかぁが殺されたかもしれねぇんだ。オラ、犯人を探してるだ……」
「まあ……!」
珠江はその時初めて、あの恩人であるカニ江が首をつって亡くなったことを知り、言葉を失いました。そして深く哀れみ、カニ之介に対してカニ江との間にあった出来事を静かに語り聞かせたのです。珠江はせめてもの足しにと一両の小判をカニ之介の手へ握らせると、こう助言いたしました。
「あの日、お母様には助けていただいたお礼として『十両』をお渡ししたのですよ。そのお金で、どうか弟さんたちとどこかで身を寄せて暮らしなさい」

十両の大金など初耳であったカニ之介は、一瞬「何の話だ」と怪訝に思いましたが、ただ「はい……」とだけ答えてその場を立ち去りました。

その後、消えた十両の行方がどうしても気になったカニ之介は、密かにサル蔵の汚い家へと忍び寄り、障子の隙間から部屋の中を覗き込みました。するとどうでしょう。部屋の片隅にあった白い包みの隙間から、眩い小判の山が覗いているではありませんか!
「サル蔵の野郎……おっかぁを殺めた上に、小判まで盗みやがったのか……!」

カニ之介の胸中に猛烈な怒りが吹き荒れました。しかし同時に、これで母を死に追いやった犯人がサル蔵であると確信を得た瞬間でもあったのです。

そして、あの復讐決行の当日。
栗衛門がお面を被せたカニ太郎を伴い、サル蔵を誘い出しに向かった直後のことです。カニ之介は暗がりで待ち伏せていた大人三人——蜂子、馬糞慈、臼五郎を集めると、突如として冷徹に「作戦の変更」を言い渡しました。

元々のカニ之介の計画では、サル蔵を殺害する目論見などありませんでした。殺してしまえば検非違使が動き、誰かしらが捕まるのは目に見えています。それゆえ、息の根を止めぬ「半殺し」程度で済ませるつもりだったのです。——七歳にしてここまで先を見通す、恐ろしきカニ之介!

しかし、珠江から十両の話を聞いたことで、カニ之介の冷酷な知略は変貌を遂げました。そう、サル蔵を確実に「殺害」する計画へと書き換えたのです。あまりにリスクの高い作戦変更に、最初は三人とも激しく渋りました。

「栗衛門とカニ太郎が一緒にいるところが目撃されたら、あたしたちまで足がつくわ!」
と蜂子が顔を顰めて抗議すれば、
「大丈夫だ。栗衛門にはバレねぇよう、サル蔵と距離を置けと言ってある」
とカニ之介は淡々と返します。
「だとしたら、栗衛門とサル蔵が一緒にいた証拠なんて残らねぇんじゃないか?」
と臼五郎が疑問を呈すると、
「それも大丈夫だ。カニ太郎にお面を被らせてある。夜道でお面を被った子供なんて珍しいから、みんな否応なしに記憶に残るだ」
とカニ之介は不敵に微笑むのでした。

腕を組み、うーんと唸って思案する三人。知恵者の馬糞慈も、流石に栗衛門へ全ての罪を擦り付ける不義理には躊躇いを隠せません。しかし、カニ之介はさらにその一枚上手を行く手札を切りました。三人を冷たく見すえると、幼子とは思えぬ低い声で脅迫したのです。

「もし……オラの策に従えねぇってんなら、お上が来た時に『全部あんたらと計画した』とお役所に喋っちゃうかもしれねぇ。……けど、大人しく従うってんなら……」

すでに栗衛門はカニ太郎を連れ、サル蔵の元へと向かってしまっています。今さら後戻りなど不可能なのです。こうして逃げ場を失った大人三人は、七歳の少年の底知れぬ悪意に屈し、惨劇の歯車は回り出しました。

そして――前述の通り、サル蔵と栗衛門に哀れな惨劇が訪れたのでございます。

◇

栗衛門が処刑されてから数日後のこと。
とある呉服屋で高級な反物を品定めする艶やかな夜鷹。
本屋で難解な書物を買い漁る、小汚い格好をした男。
そして、大工の店で新品の立派な大杵を買い求める巨漢の姿が、町中で見受けられたそうでございます。

三人が手にしたその思いがけぬ大金の出どころがどこであったのかは……もはや言わずもがなでございましょう。

これにて、幼き爪が引き裂いた、あまりにも凄絶で恐ろしき「カニの復讐劇」の一幕を閉じることといたします。

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